牡蠣にはさまざまな種類がありますが、広島で養殖されているのはマガキがほとんど。牡蠣はアサリやハマグリと同じように2枚の殻に包まれている2枚貝。牡蠣の身が入っている身殻と呼ばれる方が深く窪んで大きく、もう1枚はふたをするようにやや平らで小さくなっています。ゴツゴツした形の殻が牡蠣の特徴ですが、実は牡蠣の殻の形は、生育する周囲の状況によって変わります。だから、丸いものや細長いものなど形状はいろいろあるのです。
かきの身体には4枚のエラがあり、その奥に口があって胃や腸そして最後は肛門につながっています。ところで、かきの心臓を見られることをご存知ですか?貝柱のすぐ上の薄い膜に包まれているのが心臓で、強い刺激を与えなければ心臓が鼓動を打つのが見えることもあります。
牡蠣の餌はプランクトンです。牡蠣の食事時間はほぼ24時間。休みなく水を吸い込みプランクトンを口に入れていきます。牡蠣1個が通す水の量は、なんと家庭用のポリバケツ1杯分にあたる量で、その量は1時間に10リットルにもなります。牡蠣が大きく育つためには栄養のある海が必要です。その点、たくさんの川が流れ込む広島の海は、プランクトンが豊富で牡蠣にとっては最高のレストランです。
広島牡蠣は、東北の牡蠣と比べると殻が小さいのが特徴です。しかし、その殻も大きさの割には深みがあり、牡蠣の身も丸みのある良い身が入っています。また、外とう膜の縁が黒いのも特徴の1つで、身の白さと対照して、きれいなツートンカラーになっています。
牡蠣はよく「海のミルク」と言われますが、その理由は、牡蠣には人が必要とするほとんどすべての栄養素を含んでいるからです。蛋白質・糖質・脂質などの基本的な栄養素はもちろん、旨味のもとになるグルタミン酸やグリシン、アスパラギン酸なども含まれています。さらに、ビタミンB・D・E・Fを含有。その他、亜鉛、カルシウム、リン、鉄、銅、マンガン、ナトリウムもそろっています。しかも、牡蠣自身は消化がいいばかりではなく、他のものと一緒に食べるとその消化も助ける働きをもつスグレものなのです。
牡蠣の成分の中でも代表格といわれるのが「タウリン」。実はこのタウリンは、体内の殺菌・消毒・解毒の作用をする白血球の中に多く存在しているものです。だから、病気や傷、ストレスなどがあると体内のタウリン量は急増。身体はこれを取り去ろうとガンバルのです。つまり、牡蠣を食べれば健康の基本となるパワーを取ることになるのです。
三大栄養素の一つである糖質は、体内に入るとブドウ糖・果糖・乳糖などに分解されて吸収されていきます。これらの成分はエネルギーの源。そのブドウ糖が肝臓に入るとグリコーゲンになって蓄えられたり、血液を通して筋肉や臓器に入って利用されます。このグリコーゲンをたっぷりもっているのが牡蠣。かつて、野口英世はグリコーゲンの需要性を普及させるために牡蠣を食べることを推奨したと言われています。
年輩者はもちろん若い世代にも増えているコレステロール値や中性脂肪値の高い症状。これらの症状は動脈硬化といった生活習慣病を引き起こす原因だと言われています。実は、牡蠣に大量に含まれているタウリンは、コレステロールの代謝を改善する働きも持っているのです。だから、一般的に言われている貝類にはコレステロールが多いという常識は、牡蠣にはあてはまらないのです。それどころか、コレステロール値や中性脂肪値を下げるので、生活習慣病を予防に役立っているのです。
最近、リノール酸を含んでいるという理由から注目されている人気のベニバナ油や小麦胚芽油。実は、牡蠣もリノール酸を含んでいるのです。人間には1日約4g必要とされているのリノール酸は、細胞膜脂質の機能を守る役割を果たします。細胞膜脂質が損なわれるとコレステロールの割合が高くなり、さらに透過性や弾力性が低下し老化を早めてしまいます。いつまでも元気で健康でいるためにも、牡蠣をしっかり食べた方がいいでしょう。
肉類を取りすぎると血液が酸性過剰になると言われています。これを抑制するために必要な要素がカルシウム。牡蠣はその大切なカルシウムを多く含んだ食材なので、牡蠣を食べることは血液の酸性化の防止につながります。さらに、牡蠣が多量に持っているリンが体内に摂取されると、カルシウムとバランスを取り合って生命活動に力を発揮。しかもリンには栄養吸収を促す作用もするのです。
最近、増えていると言われているのが、味覚を失ってしまうという症状。この病気の原因の一つにバランスの悪い食事や刺激の強い食物ばかりをとりがちな現代の食生活にあるといわれています。こうした症状の治療に用いられるのが「亜鉛」。亜鉛を含んでいる牡蠣は、現代の食生活のなかで積極的に取りたいものだと言えます。
多くは貧血で悩んでいる女性は少なくないと言います。その多くが鉄欠乏症貧血です。この貧血は赤血球の数は減っていないのにヘモグロビン量が足りないというものです。そこで必要になるのがまず鉄分。しかしいくら鉄分を摂っても、その鉄を活用してヘモグロビンを合成するための銅が足りなければ貧血症状改善にはつながらないのです。その点、鉄と銅の両方をもっている牡蠣は、まさに女性のための食品と言えます。
最近、長生きと若返りの効果があると注目されているビタミンE。ビタミンEを含んだ化粧品や栄養補助食品なども多く市販されています。牡蠣はそのビタミンEも含まれているのです。美味しく食べるだけで若返りと長生きにつながるかきはもっともっと利用したい食品です。
広島湾沿岸の縄文時代の貝塚からも、マガキやイタボカキなどの貝殻が出土したことからも分かるように、牡蠣は古代の人々にとっても重要な食料でした。プランクトンの多い広島湾は牡蠣の育成に適しているので、天然牡蠣は湾内のどこでも採れたと考えられます。
牡蠣の養殖の始まりは、「天文年間、安芸国において養殖の法を発明せり(草津案内より)」という文献によると天文年間(1532~1555)だと考えられます。当時の養殖の方法は最初は石蒔養殖法(いしまき…干潟に小石を並べて牡蠣を付着させ育成を待って収穫)や、八重ヒビといった方法が行われていました。やがて、時代とともに技術が進歩していき、よりたくさんの牡蠣を採ることができるヒビ建法(小石の代わりに木竹にかきを付着させて収穫)が確立されていきます。
養殖技術の発達でたくさんの牡蠣が収穫できるようになると、地元広島から山陽道などを通って他国へ販売されるようになっていきます。また、延宝時代(1670年代)には「かき船」による輸送が始まりました。
本来は輸送用である船を、販売にも使うという珍しい形のかき船は、八百八橋と言われるほど水路の発達した大阪に進出。大阪の人々に広島の牡蠣を提供していました。このように、昔から珍重されていた広島の牡蠣は今も全国で消費され、現在では日本の総生産量の7割を占めるほどになっています。
マガキの産卵・放精は8月頃。卵と精子は海中で受精して、かきの赤ちゃんが誕生します。生まれたばかりのかきの赤ちゃんは約17日間ぐらいは海中で泳いで過ごすのです。
赤ちゃんかきの身体を包む貝殻は、受精後約1日で形成されます。この時の貝殻はDの形をしているので、D型幼生と呼ばれます。その後、アンボ期幼生と呼ばれる形になります。この頃の大きさは、たった300ミクロン(0.3mm)ていど。この小さな身体で、泳ぎ回りながら付着する場所を探すのです。そして、比較的浅い海に置かれた採苗棚にかけた付着器や、採苗器といわれるホタテ貝の貝殻に付着するのです。
採苗した年の冬、しっかり育ったかきたちがびっしり付着した垂下連がいよいよ筏に吊されます。そのまま年を越して、徐々に大きくなっていくかきたち。翌年の秋、水温が下がってくると本格的な身入りの季節。丸々と太ったかきになっていくのです。
本格的な冬に入る頃、かきの取揚げ時期がやってきます。長さ9mもある垂下連はウィンチで巻き上げられ、一番下の針金を切った瞬間、付着器はかき船に落ちていきます。
かきがいっぱいになると、かき打ち場に。「打ち子さん」と呼ばれる熟練した女性達の手で、殻がはずされて次々とむき身になっていくのです。
かきを「牡蠣」と漢字で書くのは、昔はかきには牝がなくて牡ばかりだと考えられていたためだとか。その他、「石華・石花」と書いた文献もあり、こうした表記は自然の生態に由来するもものだと考えられます。
広島のかきは、東北のものなどに比べると殻が小さいが、殻の深みが大きいのが特徴です。自然に、殻の中に入っている身も丸みのあるよい身に成長するのです。
身を出してしまったかき殻は、さまざまに利用されています。貝灰としての肥料に使われたりコンニャクや砂糖などの製造工程にも利用されています。また、ギリシャ時代には「かいがら追放」と呼ばれる制度が行われていましたが、この時に投票用紙の代わりに用いられていたといいます。
広島のかきの多くを占めるマガキは、フランスガキなどとは違って雌雄が別。でも、その年に雄だったものが、翌年は雌になったりと年によって雌雄が入れ替わったりもするという変わった特徴をもっています。
今はその姿を見ることができなくなった牡蠣船の活動範囲はとても広いもの。徳山、岡山などの中国地方はもちろん大阪や遠く長崎あたりまでと、西日本をカバーしていたのです。牡蠣船は、毎年、旧暦の9月に広島を出航し、翌年の旧暦の正月いっぱい商売をして2月頃広島に帰ってきました。
かきを輸送するだけではなく、販売したり船のなかでかきを食べさせていたのが牡蠣船の特徴です。そのために、普通の船とは違う独特の構造をしていました。
かきの殻はとても硬くて開けにくいものですが、英語には「かきのように無口な」「かきのように口が固い」というという言い回しがあります。英語圏ではかきは寡黙の象徴なのです。また、殻の開けにくさは貝柱と靭帯が強靭さにありますが、これはかきがグリコーゲンをたくさん含んでいるという証拠です。
アメリカやカナダでは「R」の字のつかない月、つまりMay、June、July、August(5~8月)のかきは食べないといい、日本にも「花見過ぎたらかき食うな」ということわざがあります。しかし、実はこの時期のかきが有害というわけでは決してないのです。
こうした言い伝えの理由は、この季節のかきは卵をもっていることで鮮度が落ちやすく、冬場のかきに比べて旨味成分であるグリコーゲンが減っているので美味しくないということにあります。また、暑い季節なのでかきの鮮度が保ちにくくなることなどが考えられます。最近では、マイクロバブル装置でかき筏内の海水を浄化して真夏にかきを育てて販売するという新しい動きが生まれています。
かきの保存は5℃以下にしましょう。購入したかきは冷蔵庫で保存しますが、その際には絶対に水洗いしないことがポイントです。
ローマの英雄ジュリアス・シーザーは遠くイギリスまで遠征をしたのですが、その目的は実はテムズ川流域で採れたかきが欲しかったからだとか。また、フランスを制圧したあのナポレオンはかきが好きで、戦場でもかきを食べていたといいます。
『火宅の人』等の作品で有名な檀一雄はまたグルメとしても有名で、多くの食に関する本を書いています。その中の一冊『わが百味神髄』では『しかし、カキフライだの、カキのドテ鍋だのにするのなら、日本のカキ万歳であって、青バナを垂らしたような、ボッテリお腹のふくらみあがった、日本のカキでなかったら、あの豊満なカキのうれしさには、めぐりあえないだろう』と、かきの美味しさを賞賛しています。
同じような固い殻をかぶったアワビは、餌を求めて歩き回ります。それに比べてプランクトンを食べるかきは、いったん付着したら生涯そこから離れない性質を持っています。かきは養殖に向いている貝なのです。
『一粒で300メートル』というキャラメルのキャッチフレーズで有名なグリコ。グリコの社名はかきがたくさん含んでいる栄養成分・グリコーゲンを称したものとか。大正10年、創業者の江崎利一氏がかきの煮汁からグリコーゲンを採取して栄養菓子「グリコ」を創製して試験発売したことが、グリコの出発点なのです。かきがグリコーゲンをたくさん含んでいたから、グリコが誕生したともいえます。
かきは冬の季語にもなっているほど、日本人にとって馴染み深い存在。
「蛎むきや 我には見えぬ 水鏡」(其角)「牡蠣はかる 水の寒さや 枡の中」(高浜虚子)など、昔から多くの俳人がかきの句を詠んでいます。
鍋の縁に味噌を土手のように塗るから「土手鍋」と呼ぶと思われていますが、実は違います。昔、大阪方面に出かけた牡蠣船は、淀川など河川の土手下に船を係留してお客さんを迎えていました。牡蠣船で食べさせる鍋の美味しさが評判になり、「土手下の鍋を食べに行こう」ということから土手鍋という名前が付いたといいます。